鳴滝にある「鳴滝」


暑い日が続き、滝に打たれてみたくもなりますが、京都の地名に鳴滝があります。嵐電の駅名にもなっているこの鳴滝に、その由来となった「鳴滝」があります。

仁和寺前から西へ行くと福王子の交差点があり、そこから西の一帯が鳴滝です。御室川によって削られて周辺より土地の低い場所が多いのが特徴。お寺では、12月に大根焚きが行われる了徳寺が知られていますが、他にも三宝寺などのお寺や、天皇陵もいくつかあって、なかなか面白い地域です。

鳴滝の地名は、この滝に由来します。ある雨上がりの午後、滝の音がいつもと違って、大きな音を轟かせていました。不思議に思った村人は、お寺の和尚さんに相談すると、和尚さんも不審に思って村人を高台へと避難させました。するとその夜に大洪水が起こり、村は流されてしまいましたが、村人は無事に助かったといわれています。この時以来、滝は「鳴滝」と呼ばれて、村も鳴滝の里と呼ばれるようになっていったそうです。御室川は古来から暴れ川として恐れられ、平時はほとんど水がないのに、一たび大雨となれば堤防からあふれることが多く、流域の村々からは大変嫌われていました。昭和10年の大水害でも甚大な被害を出し、それによって下流域は天神川と合流して、直線的な流路が開削されています。

滝と言えば、山奥にあるイメージがありますが、この鳴滝は紅葉で知られる高雄へと続く国道のすぐ脇にあって、徒歩や自転車なら簡単に見に行けます。耳をすませば、国道にも滝の音は聞こえていますが、やはり交通量の多い道ということもあって車の音に負けてしまうようです。きっとその昔は、「鳴滝」にふさわしく、辺りに大きな滝の音を響かせていたのでしょう。現在、滝にはお不動さんが祀られていて、地域の方の信仰の場所にもなっているようです。

滝のたもとに、松尾芭蕉の句碑があります。「梅白し 昨日や鶴を 盗まれし」。芭蕉は42歳の時、鳴滝にある三井秋風(みつい しゅうふう:俳人で商人)の山荘を訪ね、咲いていた白梅にかけて詠んだ歌です。白梅が見事に咲いて、宋代の詩人・林和靖(りん なせい)の庵に居るよう心地がするけれど、しかし(彼と一緒にいるはずの)鶴が見当たらない。昨日にでも盗まれてしまったのだろうか。といった意味です。林和靖は、梅を妻に、鶴をわが子に見立てて大切にし、生涯独身で通したのだそう。さて、恐縮した秋風は「杉菜に身擦る牛二ツ馬一ツ」と、脇をつけました。そんな大層なものはおりません、いるのは杉菜に身をこすりつける二頭の牛と、一頭の馬ばかりですよ。と。なお、このころの芭蕉は、旅をしながら歌を詠んだ西行に憧れ、俳諧の道を深めようと、亡くなった母の墓参りも兼ねて伊賀上野や奈良・京都・大津・大垣などへと旅をしました。その出立時には「野ざらしを 心に風の しむ身かな(今度の旅で行き倒れて野ざらしの骨になろうとも、それを覚悟している)」と読み、旅の句はのちに「野ざらし紀行の旅」として発表されました。有名な奥の細道の旅は、さらに後年のことになります。

鳴滝の里は砥石(といし)に適した岩石を産出することで全国的に名が知られています。石は適度の硬さと吸水性があり、最上の仕上げ石として、かつては鳴滝も含めて、梅ヶ畑、愛宕山、月輪寺、越畑などで採掘をされていたそうですが、近年の開発で姿を消しつつあるよう。専門家によると、今でも質の悪い石ならばあちこちで見られるとのことです。また、福王子神社が所蔵する「遍照」の扁額は鳴滝砥石が使われています。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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