宝塔寺にある肺病平癒信仰の墓

宝塔寺
宝塔寺の宗有と妙正の墓。肺病治療の名医で肺病平癒の信仰を集めるという話が、増補版までの京都検定のテキストに載っていましたが、現在の新版では削除されています。現地の駒札には書かれています。

宗有と妙正の墓墓地は広大で、こちらのお墓を訪ねるのは難しいかもしれません。多宝塔の南のエリア内にあります。「おさん 茂兵衛 夫婦塚」の碑が建つお墓です。墓石には宗有・妙正の文字が確認できますので、おさん・茂兵衛の墓ではないことは明らかだと思いますが、おそらく「夫婦塚」と呼ばれてきたのが、いつしかおさん・茂兵衛の二人と誤認されてきたのではないかと推察します。

おさん 茂兵衛 夫婦塚の碑おさん・茂兵衛は、江戸時代に世間を騒がせた、”おさん・茂兵衛姦通事件”の二人で、烏丸通仏光寺下るで大店を営んでいた大経師屋意俊の妻・おさんが、手代の茂兵衛と密通したできごとでした。店の下女の”たま”が二人の仲を取り持ったとされ、おさん・茂兵衛は駆け落ちをしますが(身ごもったとの話も)、茂兵衛の故郷であった丹波国で捕らえられ、天和3(1683)年9月、おさん・茂兵衛、そして”たま”は、市中引き回しのうえ粟田口で処刑されました。おさん・茂兵衛は磔(はりつけ)であったといいます。

宗有と妙正の墓大経師屋は、土御門家が作成する毎年の暦を”大経師暦”として出版し、近畿一円に独占販売していたこともあり、この密通事件は大いに話題となり、井原西鶴は3年後に小説「好色五人女」でこの事件を取り上げ、近松門左衛門は三十三回忌に浄瑠璃の作品として発表しました(大経師昔暦)。二人の墓は今は一般的には山科の宝迎寺にあるとされます。そのお墓は明治初年の頃に道路改修工事で粟田口の刑場が取り潰されていった際、工事に携わっていた宝迎寺の氏子総代がおさん・茂兵衛の墓塔を発見し、宝迎寺に移して菩提を弔ったものだそう。

宝塔寺宝塔寺のお墓は、磔となった二人、すなわち肺を槍でえぐられて殺されてしまった人物と、肺病平癒の医者夫婦が同一視されているようだというのは、なんとも不思議な話です。なお、宝塔寺の墓地には、江戸時代に外科の分野で名をはせた伊良子家の墓があります。始祖は伊良子道牛で、長崎で医術を学び伏見の両替町銀座二丁目で開業。門人も育てました。門人のひとり伊藤伴蔵(大和見水)は岸和田で開業し、その養子である大和見立の弟子が、世界で初めて全身麻酔の手術を成功させたことで有名な華岡青洲です。

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吉村 晋弥(よしむら しんや)

京都検定1級に3年連続最高得点で合格(第14回~第16回、第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として10年以上。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2020」監修。特技はお箏の演奏。

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