宇治川花火大会 京都に花火がない理由

10日は宇治川花火大会。京阪の宇治駅前で少しだけ見ることができました。

京都市街地の夏に無いものが花火大会だといわれます。そのため京都の若者は大津の花火大会や宇治の花火大会、あるいは大阪の花火大会へと出かけていきます。五山の送り火は花火大会のかわりではなく、先祖の霊を送るための明かりです。ただ、かつては京都の鴨川でも花火大会がありました。なぜ、今は行われなくなったのか?実はある事件があったためです。

鴨川では江戸時代から花火が打ち上げられていました。しかし三条大橋より北は御所に近いため、打ち上げを禁止されました。そこから時を経た昭和29(1954)年8月16日、五山の送り火の夜に鴨川で花火大会が行われます。打ち上げ場所は二条大橋付近。江戸時代に禁止された三条大橋よりも北で御所に近い場所でした。打ち上げられた花火は南東からの風に流され、危惧されていた御所に火が燃え移り、なんと「小御所」を焼失させてしまうのです。

小御所は日本史の教科書にも出てくる「小御所会議」が行われた場所です。1867年、徳川15代将軍・慶喜は、二条城で政権を皇室にお返しする大政奉還を宣言。先手を打たれた薩摩藩をはじめとする倒幕派ですが、御所の警備を固めると、天皇は政権を朝廷に戻す「王政復古の大号令」を出し、さらには小御所で徳川慶喜不在のまま、徳川家の官位と領地と民を朝廷に差し出すように求めることが岩倉具視を中心にして決定されました。元土佐藩主・山内容堂は「やりかたが陰険だ」と食い下がりますが、天皇の御前でもあって決定が覆えることはありませんでした。こうして追い詰められた幕府方と新政府方との間に戊辰戦争が巻き起こっていきます。

それにしても、普通に考えればこの小御所焼失事件は不自然。というのは、二条大橋と御所のしかも小御所との間は直線距離で1.5kmも離れています。打上花火が1.5kmも飛んで行くとなると、周りの民家もタダでは済まないように思います。いったいなぜ、小御所がピンポイントで燃えてしまったのか?実はこのとき、打ち上げた花火に風船を付けていたため、風に流されて予想以上に遠くに飛んでいき、小御所の茅葺屋根に燃え移ってしまったのです。打ち上げ花火に風船を付けるというのがいまいち想像できませんが、事実はそのようです。小御所は昭和33(1958)年に再建され、今に至っています。

さて、宇治川の花火大会。今年で52回目を迎え、毎年8月10日に行われています。打ち上げ場所は京阪宇治駅や三室戸駅ののすぐ近くの宇治川で、駅や電車からも非常に近い場所で打ち上げられるのが特徴です。京阪宇治駅を降りれば、大迫力の音がすぐそばで聞こえます。また、宇治川の中の島から川面に映る花火の明かりを眺めることが出来るのも魅力の一つ。写真を撮っても絵になる場所ですね。プログラムは源氏物語にちなんだものが多く、色とりどりの花火が多い印象を受けました。

私も長年京都にいながら、しかも宇治に住んでいたこともありながら、花火大会を見るのは今回が初めてでした。宇治に住んでいた2年間は夜の10時まで五条坂の「陶器まつり」で売り子のアルバイトをしていて、見に行くことが出来なかったのです。あれから10年以上。今回も仕事の都合で間に合うか微妙でしたが、最後の15分ほどの花火を楽しむことが出来ました。また、来年以降は有料席でも確保して、ゆっくりと美しい夏の風物詩を楽しんでみたいですね。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。


コメントを残す

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.