妙心寺 東海庵


18日まで、京の冬の旅で非公開文化財の特別公開が行われ、私も妙心寺の東海庵へと足を延ばしてきました。

東海庵は妙心寺の塔頭の一つで、書院西の庭は「東海一連の庭」として、京都検定のテキストにも登場します。恐らく京都検定を勉強した方であれば、名前は聞いたことのある方も多いはずですが、いかんせん普段は非公開ですので、いったいどんなお庭かと気になっていました。塔頭寺院は非公開の場所が多いため、史跡名勝といえども、このような機会でしか拝観は叶いません(普段見れない場所を出題範囲とする観光検定にも疑問を禁じ得ませんが・・・)。なお、今回の拝観では建物はすべて撮影不可、お庭のみが撮影可能となっていました。

東海庵は文明16(1484)年に悟渓宗頓(ごけいそうとん)禅師を開祖として創建された塔頭です。悟渓宗頓は、応仁の乱で荒廃した妙心寺を復興させた雪江宗深(せっこうそうしん)の弟子の一人で、他の弟子とともに妙心寺四派の一つ東海派を起こしました。つまり、東海庵は妙心寺の数ある塔頭の中でも寺格が高いお寺です。

拝観順路でまず現れるお庭は一面の白砂に覆われた、方丈前の白露地の庭。ですが、その前の廊下には東海派に属する全国約1900もの寺の名前が掲げられています。実は悟渓宗頓は愛知県出身で、岐阜でも名の知れた瑞龍寺を開いた僧でもあります。この妙心寺の東海庵はその名の通り「東海地方」出身の悟渓宗頓にちなんでいるのです。そのため所属する寺は東海地方が多く、私の出身県である岐阜のお寺も廊下をぐるりと囲むように名前がありました。

方丈前の白露地の庭は、庭を向いて座禅を組むことを想定したお庭で、心を惑わす苔や石などの庭の装飾を一切取り払った、簡素なお庭となっています。庭を囲む塀は奥へ行くほど低くなっていて、庭を広く見せています。これは龍安寺の石庭にも共通する手法です。白露地の庭からは、妙心寺の仏殿と法堂が借景のように望め、シンプルではあるものの広々とした美しい景観を見せてくれました。

方丈を回り込んで書院へと移ると、その西側に江戸時代に作られた「東海一連の庭」があります。この庭は三つのグループから成っています。向かって右には三本の松と築山がある長寿を表す区画、その左には三尊石が並ぶ枯山水の区画、そして向かって左にはお茶室の路地庭のような飛び石や灯籠が配置された区画があります。直接的には趣が異なる庭が、それぞれ一連の景観の中にうまく溶け合っているために「東海一連の庭」と呼ばれ、国の史跡・名勝にも指定されています。

書院の南には七個の石を配し、広さも七坪の坪庭があります。中心の石を支点に同心円状に線が引かれているのが印象的。人によっては、北極星だとか様々な見方があるようです。また石は直線的に並べられてはいますが、庭の中心からは七つ全てを見ることができず、龍安寺の石庭と同じように不完全を表すのだとも考えられています。このように、東海庵では禅寺らしいお庭を見られました。次はいつ公開されるかわかりませんが、機会があれば拝観をしてみて下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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