磨崖仏と巨岩の笠置寺 その2

笠置寺 虚空蔵磨崖仏
磨崖仏と巨岩に囲まれた笠置寺。前回の続きです。

虚空蔵磨崖仏前回のブログでは、千手窟までご紹介しました。千手窟を過ぎると、笠置寺の磨崖仏で最も美しく残っている虚空蔵磨崖仏が現れます。寺伝では弘法大師・空海が一夜にして彫りあげたと伝わりますが、調査によると本尊と同じく奈良時代の渡来人の作といわれています。虚空蔵磨崖仏の前に立てば、その大きさに圧倒されることでしょう。足場が狭く、磨崖仏をほぼ真下から見上げるような形になるため、余計に大きく見えるのかもしれません。線は大変くっきりと残っていて、当尾の石仏群などと比べても、その美しさは京都の磨崖仏でも指折りだと思います。是非、現地で実感してみて下さい。

胎内くぐり虚空蔵磨崖仏を過ぎると、胎内くぐりがあります。本来はここからが行場に当たります。胎内くぐりは岩と岩との間を潜り抜けるもので、人が一人通れるほどの幅しかありません。天井の石は、江戸時代の安政地震で落下したため、以後は切り石の天井となっています。狭い回廊をくぐり抜ければ新しい自分に生まれ変われるのだとか。

絶景が広がる胎内くぐりを過ぎると、次々に巨岩が出現しはじめ、岩場を進んで行く場所もあります。やがて見晴らしの良い場所へと出て、まさに絶景が広がります。眼下には木津川が望め、辺りの山々もはるかに望めます。是非天気の良い日に見て頂きたい光景です。

ゆるぎ石次に現れる「ゆるぎ石」と呼ばれる石は、元弘の変の際に奇襲用の石として据えられたといわれ、重心が石の中央にあるため、人の力で動かせるそうです。さすがに私の力ではびくともしませんが、人によっては片手で少し揺らすことはできるそうです。

蟻の戸わたりそして笠置寺一の絶景が広がるのが平等石と呼ばれる巨石の上。手すりなどはありませんので、くれぐれも無理をしないように登って下さい。かつての行者もここからの絶景を眺めていたのかもしれませんね。平等石の先には、蟻の戸わたりと呼ばれる、蟻のように一人づつしか進めない狭い岩場もあります。

二の丸跡その先の平坦地が二の丸跡と呼ばれています。後醍醐天皇が笠置寺にこもった際はあくまで仮皇居で城は築かれませんでしたが、室町時代には後醍醐天皇の行在所跡を本丸と見て、その下の平坦地を二の丸と考えたそうです。ここには休憩所もありますので一服するのもよいでしょう。

笠置駅を望む先に進むと道が分かれますが、右へ行けば貝吹き岩があります。ここも眺望に優れ、特に笠置駅周辺がよく見えます。桜が咲いている様子もよく分かりますね。貝吹き岩は、行者が法螺貝を吹いた場所とも、元弘の変に際して士気を高めるために吹いた場所ともいわれています。

行在所跡への階段引き返して行在所跡へと向かう階段にかけては、紅葉が美しい一帯です。枝を見てもさぞ絶景が広がるであろうことが予想されますので、また紅葉の時期にも訪れてみたいですね。行在所跡は元弘の変で後醍醐天皇が入られた場所。ここで後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕計画について触れておきましょう。

笠置での後醍醐天皇後醍醐天皇の時代の天皇家は二つの系統に分かれていて、後醍醐天皇は別系統の花園天皇の後を受けて即位しました。後醍醐は、幕府や上皇中心ではなく天皇が中心となって政治を行うこと(親政)が、世の本来の姿であると考え、政治の実権を幕府から朝廷に戻すと同時に、皇位継承にまで口を出す幕府を倒せなければならないと考えました。

後醍醐天皇 行在所跡こうして討幕の計画を着々と進めていましたが、1324年、計画が露見して側近公卿が捉えられてしまいます(正中の変)。以後、幕府は後醍醐天皇の動きを監視するようになって、天皇も表立った討幕の動きが取れないまま7年の月日が流れました。しかし、陰では倒幕を諦めてはおらず、ついに側近公卿が思いつめて幕府に密告をするに至りました。討幕計画にかかわった公卿が再び処罰される一方、幕府は後醍醐天皇本人も捉えようとします。

笠置山での攻防こうして、後醍醐天皇は幕府と完全に対立。天皇は比叡山に逃れ、そこへ攻め入った六波羅探題の大軍は、比叡山の僧兵に大敗してしまうのでした。ところが、比叡山にいた天皇は偽物。後醍醐天皇は、密かに笠置に入り、立てこもったのです。こうして笠置での攻防戦が巻き起こります。天皇方の兵力2500に対し、幕府方(北条方)は75000の兵力で、圧倒的な大差がありました。

笠置山での攻防不利な状況ではありましたが、伊勢や伊賀、大和からも味方が集まり、何より笠置山は天然の要害。守りやすく攻めにくい場所でした。こうして戦いが始まると、天皇方は20日以上も善戦したのです。しかし多勢に無勢の状況は変わらず、ついに敗れて、笠置寺は炎上。天皇は、楠正成(まさしげ)がいる千早赤阪を目指して山中をさまよっていましたが、幕府方に捉えられてしまいました。そして無理やり退位させられ、隠岐島に流されることになります。・・・後醍醐天皇はここから大逆転で、悲願の討幕を果たして建武の親政を実現させますが、その辺りの面白い話は今回は割愛します。北朝の光厳天皇については、以前、常照皇寺の記事で書きましたので、よければご覧ください。

虚空蔵磨崖仏笠置寺の行在所跡へは、階段を上っていくことになります。平坦地があるだけといえばあるだけですので、あえて行かずともよいといえばよいかもしれません。行在所跡への階段を登らずに先に進めば、大師堂を経て一周し、入口付近に戻ることができます。前回と今回と笠置寺を書いてきましたが、笠置寺は巨岩に囲まれ、絶景も堪能でき、興味深い歴史も秘めたお寺です。是非一度、訪れてみて下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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