地蔵禅院のしだれ桜と玉津岡神社

地蔵禅院 高台のしだれ桜
今回も井手町の桜のご紹介です。地蔵禅院に咲く枝垂れ桜は、円山公園の祇園しだれ桜の叔父にあたる老木です。

地蔵禅院 円山公園のしだれ桜の叔父にあたる地蔵禅院は、前回ご紹介した玉川堤を進み、左(北側)に曲がっていくとあるお寺です。道中はなかなか坂が厳しいので、心づもりを持って行かれるとよいでしょう。ただ、辺りは大変に長閑で、地元の名物や野菜や果物を販売している家もありました。

佇まいの美しい桜高台にある地蔵禅院は景色が素晴らしく、南山城を広く望むことができます。そして高台から街を見下ろすように枝垂れ桜が咲き誇ります。地蔵禅院のしだれ桜は、享保12年(1727年)に植樹されたもので、280歳を超える老木です。親木同士が円山公園の「先代の祇園しだれ桜」と同じといわれ、現在の円山公園の祇園しだれ桜から見れば「叔父」に当たります。高台に咲くその見事な佇まいから、人気の高い桜の木。余談ですが、京都で老木のしだれ桜といえば、常照皇寺の九重桜があります。こちらは樹齢が600年以上。ずいぶんと樹勢は弱っていますので、見られる方は早めがよいでしょう。今年は既に満開とのことです。

地蔵禅院 境内この日(5日)の地蔵禅院は、数多くのご年配の参拝者で賑わっていました。玉川からのハイキングコースとして最適ですね。天気は快晴。高台から桜を望めていると時が経つのを忘れてしまいそうになります。地蔵禅院は曹洞宗のお寺で、本尊は地蔵菩薩。創建の詳細は不明ですが、辺りに勢力を持った橘諸兄(たちばなのもろえ)によって創建されたと伝わります。

地蔵禅院 しだれ桜と菜の花桜は老木の雰囲気があり、通年の手入れが欠かせず、寄付金も募られています。多くの人々の支援によって今年も美しい花を咲かせてくれました。私が訪れた日は満開は過ぎていましたが、まだ少し花が残り、青空の下で美しいシルエットを見せていました。桜は下から仰ぎ見ることもでき、植えられている菜の花と一緒に撮る構図はカメラ愛好家からは人気を集めています。

地蔵禅院 ソメイヨシノ境内には大きなソメイヨシノの木もあり、こちらも見事に咲き誇ります。また、老木の桜の子どもが参道途中に2本植えられていますが、こちらも樹齢は100年を超えています。それぞれ品のある佇まいで、私たちの目を楽しませてくれます。

玉津岡神社地蔵禅院のさらに上には、玉津岡神社があります。祀られている神様は、下照姫(下照比売:シタデルヒメ)命です。あまりなじみのない神様かもしれませんが、古事記ではユニークなエピソードの中で登場します(以下、「命」を省略します)。大国主(オオクニヌシ)による地上の国づくりが進む一方、天界では天照(アマテラス)が「地上の国は我が息子が治める国だ」と主張し始めます。そこでまず使いを遣わして、地上の国を服属させようと試みました。ところが最初に遣わした使者(アメノホヒ)は、大国主の機嫌ばかりを取って3年経っても返事をよこしません。

玉津岡神社 拝殿そこで、新たに使わされたのが天若彦(天若日子:アメノワカヒコ)。弓と矢を授けられ地上に降り立ちました。しかし、天若彦は大国主(オオクニヌシ)の娘である下照姫(シタデルヒメ)を妻にめとると、大国主の後を継いで自分が地上を支配しようと目論むようになってしまうのです。こうして時が経ること8年。しびれをきらした天照(アマテラス)は、鳴女(なきめ)という名の雉に様子を見に行かせます。ところが天若彦(アメノワカヒコ)は、地上に降りる際に授けられた弓矢を、雉に放つのでした。

玉津岡神社 蛙矢は雉(鳴女)の胸を貫くと天まで届き、天照(アマテラス)と高御産巣日(タカミムスビ)の前に落ちたのです。高御産巣日(タカミムスビ)は、「これは天若彦(アメノワカヒコ)に授けた矢ではないか。もし天若彦に邪心があるならば、この矢に当たれ」と念じ、再び地上へと矢を放ちます。そして!矢は天若彦(アメノワカヒコ)の胸を貫いて、天若彦は死んでしまったのでした。

喪山(岐阜県美濃市)ここからがクライマックス。夫を亡くした悲しみで大声で泣き叫ぶ下照姫(シタデルヒメ)の声は、天界まで届き、天若彦(アメノワカヒコ)の家族もたまらず下界に降り立ちます。そして息子の死を悼んで葬儀のための喪屋を建てました。そこに、下照姫(シタデルヒメ)の兄が弔いに訪れるのですが・・・、なんとその姿が、亡くなった天若彦(アメノワカヒコ)にそっくりだったのです!!「天若彦が生きていた!」と、下照姫(シタデルヒメ)の兄にすがりつく天若彦(アメノワカヒコ)の家族。ところが、当然別人で、しかも死んだ者と間違われた下照姫(シタデルヒメ)の兄は大変に怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴飛ばしてしまうのでした。

喪山(岐阜県美濃市)以上が古事記に描かれているエピソード。神々は人間を超越した存在である一方で、ずいぶんと人間臭い面白い話が神話にはたくさん描かれていますので、読んでみると、神社がより一層面白くなることでしょう。ちなみに、美濃国の藍見には現在も喪屋があったという「喪山」があり、記紀ゆかりの史跡として天若彦(アメノワカヒコ)も祀られています。

玉津岡神社 蛙の彫刻さて、話を戻します。玉津岡神社の伝承によれば、下照姫(シタデルヒメ)命は、欽明天皇の時代に玉津岡の南峰に降臨し、後に橘諸兄によって現在地に社殿が遷されました。下照姫は天若彦が亡くなった際に、8日8夜歌舞をして弔ったとされ、家内和合や芸能のご利益で信仰を集めています。社殿建築も注目で、拝殿正面の柱上部には、阿吽の蛙の彫刻があります。他にも手水の口も蛙形の石をしています。実は井手町の玉川沿いは蛙が美しい声で鳴くことで知られ、古から玉川の蛙を詠んだ和歌は83首を数えるそう。

小野小町の墓小野小町も「色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花」と詠んでいます。「蛙が鳴くころになると、玉川堤に咲いていた山吹の花も散り、花の色香の移ろいに、若かりし日を懐かしく思い出す」といった意味の歌。絶世の美女でありながら、誰とも結婚することなく晩年を迎えた小町らしい和歌です。小町は井出の地で晩年を過ごしたする伝承もあり、地蔵禅院と玉津岡神社の参道には、小野小町の墓があります。小町がどこで亡くなったか定かではありませんが、往時を偲べる美しい和歌ですね。井手町の山吹はまだこれから。機会がありましたら足を延ばしてみて下さい。

お知らせ

桜を巡る散策を「らくたび」さん主催で行います。詳細はこちらをご覧ください。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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