斎王代と女人列の御禊神事 2018年

斎王代 禊の場面
4日は、上賀茂神社で葵祭に奉仕される斎王代と女人列の御禊(みそぎ)神事が行われました。

斎王代この神事は、その年の葵祭のヒロインといわれる斎王代が十二単(ひとえ)の衣装で初めて登場するため、報道各社もずらりとカメラを並べる注目度の高い神事です。ただ、時間が午前中と少し早目なことや、上賀茂神社が市の中心地からやや離れていることもあって、他の混雑を極める神事に比べると人は少なめです。斎王代などの女人列は昭和31年(1956年)に復活し、以降、御禊(みそぎ)神事も上賀茂・下鴨の両神社で隔年交代で行われ、今年は上賀茂神社の順番です。

女人列斎王代は、かつて賀茂の神に仕えた皇族の未婚の女性「斎王」の代理という意味の呼び名です。賀茂社に仕える斎王(斎院)は、平安時代の嵯峨天皇の世に始まって、鎌倉時代初めの後鳥羽天皇の代まで続きました。初代の斎王を務めた方は「有智子(うちこ)内親王」で、嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)の隣りに墓があります。

女人列斎王の制が始まったのは、嵯峨天皇とその兄・平城上皇との争いである「薬子の変」の平定を、嵯峨天皇が賀茂の神に願った際に、願いがな叶えば賀茂の神へと奉仕する女性を出すと願をかけたためです。その後、無事に鎮圧された暁として、嵯峨天皇の皇女・有智子内親王は僅か4歳で斎王となり、以後20年近くお役目を務められました。なお、斎王は斎院と呼ばれる場所で清らかな生活をしていました。有智子内親王が過ごした斎院の場所ははっきりしないそうですが、現在の櫟谷(いちいだに)七野神社付近に、歴代の斎王が過ごした斎院があったと考えられています。

女人列 禊の場面斎王は神に仕える身として身を清める禊(みそぎ)を行う必要がありました。現代でも神社には手水屋がありますが、水には穢れを洗い流し、身を清める役割があります。賀茂の神は賀茂川(鴨川)に沿って鎮座する神であり、現在も上賀茂神社・下鴨神社には小川が流れています。両神社の参道はその小川の上を橋で渡っていて、参拝者も参道を通ることで、知らず知らずのうちに穢れを落としてから参拝をしていることになります。かつての斎王は鴨川で穢れを落とす禊をしていましたが、現在の斎王代は、それぞれの神社にある御手洗(みたらし)川に手を浸して禊を行います。また女人列の皆様は、人の形を紙でかたどった「人形(ひとがた)」に息を吹きかけて穢れを移し、御手洗川に流すことで身を清めます。

斎王代 禊の場面さて、参道をゆっくりと進んで歩みを進める斎王代と女人列の姿はやはり華やか。そして禊の儀式で、斎王代が御手洗川に手を浸す場面を見るのは至難の業でしたが、なんとか目にすることもできました。禊が終わると記念撮影があり、一般の方を含め多くの方が写真を撮っておられました。斎王代のお役目は、5月15日の葵祭の路頭の儀だけではなく、この先1年間の上賀茂神社の行事に時折登場されます。長丁場ですが、無事に大役を果たしていただければと思います。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。8年ぶりに受験した第13回京都検定で再度1級に合格し「京都検定マイスター」となる。第14回京都検定1級(合格率2.2%)に最高得点で合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2018」監修。特技はお箏の演奏。

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