妙満寺 雪の庭


18日は、京都で今シーズン最もしっかりと雪が積もりました。洛北各地を回って来ましたので、何回かに分けて京都の雪景色をご紹介して行きます。今回は妙満寺雪の庭。もともと雪の庭と呼ばれているお庭に、文字通り雪が積もった光景です。

京都では、府北部で大雪警報も出されました。しかし、京都市街地はうっすら積もったところどまり(気象台では観測上は0cm)。寒気自体は第一級で、一冬に一度あるかないかというレベルの強い寒気でしたが、市街地でしっかりと積もらなかったのは、寒気の通過速度が速かったことに加え、このブログでも何度か紹介した「JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)が、今回は京都にはかかっていないこともあるでしょう。雪は寒気の強さのみならず、雪雲が流れ込んでくる風向きやその強さ、JPCZの有無で結果が大きく変わります。そこがまた予報の難しいところ。特に京都は、鞍馬・大原、岩倉、市街地と大まかに3区分ほどでき、雪の降りやすさ、積もりやすさ、積もった後の溶けやすさが異なるので、雪予想についてはなかなか厄介な都市です。京都旅屋でも知見を積み重ねて、将来は雪予想のみならず、雪の残りやすさを踏まえて、雪の日にお勧めな京都の見どころも事前に紹介できたらと思っています。

さて、今シーズンもようやく雪の京都を紹介できる日が来てくれました。今日は雪が積もることを予測して予定を空け、洛北を中心に見て回って来ました。下鴨神社・上賀茂神社、岩倉の社寺、一乗寺のお寺、八瀬・大原まで走って来ました。何回かに分けて、順番に紹介して行こうと思います。まずは「雪の庭」がある妙満寺です。

妙満寺は、元は現在の京都市役所の北付近(寺町二条)にあった日蓮宗のお寺です。昭和に入って年々都市化が進んだため、都会の喧騒を避けるため、昭和43年に現在の岩倉の地に移って来ました。本坊にある「雪の庭」は、俳諧の祖と仰がれる松永貞徳によって造営されたといわれる雪月花三名園の一つです。いずれも成就院というお寺に作られ、妙満寺成就院の雪の庭、清水寺成就院の月の庭、北野にあった成就院の花の庭(現存せず)とがありました。清水寺成就院の月の庭も、年に何回か公開されています。

松永貞徳は江戸時代初期に活躍し、妙満寺を会場として正式な俳諧の興業「雪の会」を催しました。これにより連歌から俳諧が独立して認められ、後の松尾芭蕉へも繋がって行きます。その意味では妙満寺は俳諧発祥の地ともいえるのですね。この時の妙満寺成就院の住職が貞徳の門下生だった縁もあり、「雪の庭」が造営されました。

上記のように雪の庭は、もともとは妙満寺の成就院にありましたが、岩倉への移転に際し、石組をそのままに本坊前に移されました。京都市街地よりも雪の頻度が高い岩倉に移ったことで、文字通りの「雪の庭」が見られる機会も増えたわけですね。岩倉は、市街地でほとんど雪が積もっていなくても5cm~10cmほどの積雪があることがあり、山間部と京都市街地との緩衝地帯に当たります。夜間を中心に雪が積もる時は山間部のようにしっかりと積もりますが、一方で日差しの戻りは大原や鞍馬よりは市街地寄り。ですので、意外と速く雪は消えていきます(もちろん市街地よりは遅い)。妙満寺の雪の庭を見に行かれるのでしたら、午前中がベターです。

今回は9時台に到着して拝観をしました。運よく、雪の庭が見られる部屋には私しかおらず、しばしその静けさと、凛とした空気感を楽しむことが出来ました。雪景色が作り出す独特の雰囲気は、寒い日に出かけた者だけが感じられる特権かもしれません。妙満寺では、座ってゆったりと眺めることが出来ますので、額縁のような風景を楽しんで見たり、あるいは縁側に出て見たりと、心行くまで「雪の庭」を堪能できます。

また、妙満寺は境内からの比叡山の借景も見事です。洛北の比叡山の借景では、円通寺や正伝寺も知られますが、妙満寺が最も比叡山に近く、その分雄大さがあります。境内の建物が小さく見えるほど大きな比叡山には毎回圧倒されます。この景色は本堂への階段を上って振り返ると見られますので、忘れずに見てみて下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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