祇園祭限定の名水 御手洗井戸


山鉾巡行も終わり、すっかり平常に戻った感のある京都ですが、お神輿は四条寺町の御旅所に鎮座し、祇園祭はまだまだ続いています。還幸祭のある24日までは、御手洗(みたらい)井戸が開放され、期間限定の名水を頂くことが出来ます。

祭りでは神の乗った神輿が御旅所に鎮座しますが、かつて祇園祭の御旅所の一つがあったのは、烏丸通高辻上るにも史跡が残る大政所御旅所。平安時代の円融天皇の時代に、高辻東洞院西入に住んだ秦助正が、夢で八坂の神から「汝の家を影向の地とせん」とのお告げを受け、さらに自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て朝廷にこのことを奏上した結果、助正の邸宅一体4町もの広範囲が御旅所になったといわれます。この御旅所は豊臣秀吉の時代、1591年に現在の四条寺町に移され、現在に至ります。

一方、御手洗井戸は、烏丸通錦小路上る東側にあります。人通りの多い場所で比較的目立つのですが、それでも入って水を頂く方は稀なようです。この井戸は普段はカギが閉まっていて、水を頂くことが出来るのは15日~24日にかけての期間。御手洗井戸は、御旅所の社務・藤井助正の邸宅にあった井戸で、助正は邸内に八坂神社の神を祀る祠を立て、毎朝この霊水を献じていたそう。1568年に織田信長が上洛した際に御旅所は移転をされますが、この井戸の水が格別であることを聞き及んだ信長は、祇園祭の時のみこの井戸を一般に開放させたといわれています。以後、連綿とその風習が続いてきましたが、明治の終わりに烏丸通を拡張する際にもとの場所から東に移し、現在のように通りに面した井戸となりました。近年(1970年ごろ)までは長刀鉾町のお稚児さんが、15日昼過ぎに御手洗井戸で手を清め、粽の奉納もされていたそうです。現在は稚児の行事が簡素化され行われていません。

以上、主に現地の立て看板と手元の文献を元に記載しました。しかし疑問点がいくつも出てきます。例えば、大政所御旅所の「秦助正」と御手洗井戸の「藤井助正」が同一人物かどうか?他のブログでは同一人物として書かれている記載があるものの、私は裏が取れていません。ただ、御手洗井戸のある場所に大政所御旅所の神主が住んでいたのは確かで、毎日御旅所へ井戸の水を献じていたといわれます。他には、御旅所が移された時期が、御手洗井戸の立て看板では信長の時代(1568年)、大政所御旅所の看板では秀吉の時代(1591年)と、それぞれ食い違っています。「歴史は諸説ある」ことが現れていてやっかいです。

さて、御手洗井戸の水は井戸水らしくまろやかな味わいで、夏の時期には程よい冷たさ。すぐ近くの錦市場も古くから地下水に恵まれた場所で、今でも錦天満宮や蛸薬師境内には名水が湧きます。ただ近年は地下鉄の影響もあってか水位が下がり、この御手洗井戸も一時は枯れてしまいました。今はボーリングによって深く掘り下げ、ポンプで汲んでいるそうです。文明の利器を借りているとはいえ、何百年も続く京都の伝統を今に伝える名水。江戸時代の地誌・都名所図会にもちゃんと載っています。ビルの谷間に残る姿には感動すら覚えますね。24日までの間にお近くを通られる際には、是非口にしてみて下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。


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