同志社大学 今出川キャンパス


同志社大学 今出川キャンパス

先週の大河ドラマ八重の桜では、同志社大学の前身となる同志社英学校が開校しました。今回は、今出川キャンパスについて少しだけ書いてみます。

同志社大学 彰栄館大河ドラマの八重の桜も京都での物語が進んでいます。新島八重は長生きでしたので、彼女の京都時代は60年近くもありますが、どのように描かれていくのか、最後まで楽しみです。先週の放送では、同志社大学の前身となる同志社英学校が開校し、八重と新島襄が結婚しました。同志社大学は私の出身大学で、実は今でも図書館にはよく通っています。母校の誕生シーンは、思っていた以上に感動させてもらいました。

同志社大学 礼拝堂日曜日には「まいまい京都」さんで、新島八重の半生を歩くコースを実施してきました。多くの方にご参加頂き、本当にありがとうございます。今年は八重の散策を行うに当たって、何冊も本を読みましたが、知れば知るほど八重さんは「ハンサム」だと私も思います。今後の描かれ方も見逃せませんね。さて、同志社大学は、団体でのガイドは許可されていませんが、個人の方は出入り自由ですので、是非足を踏み入れて、新島襄や八重のいた時代から建つ建物を眺めていただければと思います。

同志社大学 良心館振り返ってみれば、このブログでは時々、同志社大学の写真を載せていながら、きちんと記事を書いたことがありませんでした。今回も、時間の都合で簡単にしか書きませんが、また遠くないうちにじっくりと書ければと思います。なお、今出川キャンパスの風景は、この春の良心館の完成と文系学部の移転に伴って大きく変わっています。久しぶりに訪れる方は驚かれることでしょう。

同志社大学 ハリス理化学館 手すり一方で、新島襄の時代から変わらずに立っている建物もあります。西門を入ってすぐの彰栄館、そこから芝生を挟んで東にある礼拝堂(チャペル)、正門からまっすぐ入った場所にある有終館は、新島襄もその佇まいを目にしていて、ハリス理化学館の建設中に襄は亡くなりました。階段の手すりが棺を担ぐために使われ、今では触ると同志社に合格できるとして、受験生に人気があることでも知られています。なお、同志社大学には、学生によるキャンパスツアーが月に一度ほどあり、平日は10名以上の団体で申し込むこともできます。機会があれば若さあふれる学生ガイドを聴いてみてください。

同志社大学 クラーク記念館同志社大学のキャンパスの土地は、元は薩摩藩邸です(その前は相国寺の土地です)。明治に入ると上知令が出され、各藩の土地が強制的に京都府に接収されます。ちなみに、ホテルオークラは長州藩邸、京都大学が尾張藩邸跡に建てられています。そのような混乱のさなか。八重の兄である山本覚馬は自らが幽閉されていた旧薩摩藩邸の土地を手に入れ、それを新島襄に安く譲りました(というのが定説ですが、薩摩藩邸→京都府→開拓会社→新島襄という研究もあります)。

同志社大学 礼拝堂の風向計襄に譲られた頃には、今出川キャンパスの地は桑畑になっていました。京都府顧問であった覚馬は、新時代には繊維業が発展することを見越して、こうした広い土地に積極的に桑を植える政策を提唱していたそうです。京都は西陣織の産地でもありますね。御所の周りの荒れた公家町でさえも桑畑になりかけたほど、京都のあちこちに桑畑が出現しました。

同志社大学 桑の木大河ドラマでも描かれているように、キリスト教への風当たりが非常に強い時代の中で、襄がこれほどの広い土地を得ることができたのは本当に幸運でした。同志社内では、今もハリス理化学間の西側に1本だけ桑の木が植わっています。当時の生き残りかどうかは定かではありませんが、かつてを偲ばせてくれる木です。

同志社大学 良心館ということで(?)、今回もつれづれなるままに書いてみました。考えてみれば、全国あまたの大学がある中で、こうして母校が大河ドラマで紹介されるのも幸運です。創立者の名前でいえば、慶応義塾の福沢諭吉や、早稲田の大隈重信のほうが、圧倒的に知名度があります。新島襄の名は、決して全国区ではないでしょう。そうした意味でも、今年は大変楽しみに見させてもらっています。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。


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