上御霊神社での小山郷六斎念仏

小山郷六斎念仏
8月18日に、上御霊神社の例祭が行われ、夜には小山郷六斎念仏や御霊太鼓の奉納がありました。

御霊太鼓上御霊神社の御霊祭は、現在は5月18日に行われています。しかし元は8月18日に行われていてm現在は例祭として神事が受け継がれています。午前中は狂言の奉納などが行われ、夜には御霊太鼓や小山郷六斎念仏踊りが奉納されました。京都の8月は各地で六斎念仏踊りが奉納されます。いずれも「京都の六斎念仏」として、国の重要無形民俗文化財に指定されていて、民俗学的にも価値のあるものです。京都といえども、国の重要無形民俗文化財に指定されている行事は多くはなく、他に比較的見に行きやすいものでは、祇園祭の山鉾行事、壬生狂言、嵯峨大念仏狂言、やすらい花のあたりに限られます。

御霊太鼓六斎念仏とは、8日・14日・15日・23日・29日・30日の六日を、悪鬼が出て人の命を奪う不吉な日であると考えて、人びとが民家などに集まって念仏を唱えた風習に始まります。主に京都近郊農村の人びとによって行われていました。やがて江戸時代になると、自分たちの村中を念仏を唱えて回るだけでなく、洛中にも出かけて、財力ある商家の店先で棚経を唱えて布施を頂くなどしました。

小山郷六斎念仏江戸時代の初めまでは純粋な念仏のみであったそうですが、江戸中期になると、当時都で流行していた歌舞音曲を取り入れたり、獅子舞や祇園囃子、壬生狂言の土蜘蛛など、各芸能の面白いところを取りこんで、宗教色の強いものから芸能的なものへと変化していきました。一方で、本来の趣旨は「念仏」ですので、芸能化することを嫌う一派も現れました。当時は、六斎念仏を始めるに当たって、管轄の寺院より免許を受ける決まりがあり、芸能系は空也堂、保守的な念仏系は主に干菜(ほしな)寺から免許を受けていました(空也堂系の念仏六斎もある)。

小山郷六斎念仏このように、京都近郊は同じ六斎念仏といっても、様相の異なる2種類が存在するため、民俗学的にも価値が高いとされ、国の重要無形民俗に指定されているのです。現在の京都に残っているのは、ほとんどが「芸能六斎」です。唯一残る干菜系の念仏六斎は、五山の送り火の船形を管理する西賀茂の西方寺で、送り火が消えた8月16日の21時頃から行われています。また、六波羅蜜寺で12月後半に行われる踊躍念仏も、念仏六斎に属するもののようです。

小山郷六斎念仏今でも京都各地で行われている六斎念仏踊りは、地元の方々によって維持継承されています。そのため、地元では高い人気を誇り、六斎念仏が行われる時間帯になると、境内は大勢の人で賑わいます。演目は、各地で共通した名前のものが多いですが、その中身は結構異なっていますので、見比べてみるのも面白いでしょう。

小山郷六斎念仏さて、前置きが長くなりましたが、小山郷六斎念仏踊りは、もともと都近郊の農家であった小山郷の六斎念仏で、盂蘭盆会供養として、上善寺と檀家の各家々に念仏踊りを奉納していました。現在も地元の方の熱意によって伝えられています。仏教にまつわる行事ですが、現在は地元の行事として上御霊神社の例祭においても奉納されているのです。この日も、四つ太鼓、祇園囃子、獅子と土蜘蛛などお決まりの演目が順番に披露されていきました。

小山郷六斎念仏また「猿まわし」の演目は近年復活し、演者が猿になりきって舞台を我がもの顔で動き回る様子が面白かったです。子どもにも人気のようでした。獅子と土蜘蛛は、小山郷六斎念仏では、獅子が善良で土蜘蛛が悪い方として演じられ、土蜘蛛の糸によって弱らされた獅子が仏様の加護で力を取り戻すという場面を表しているそうです。奉納の様子は動画でもご覧ください。

小山郷六斎念仏こうして、盛況のうちに終わった小山郷六斎念仏。ただ、保存会では後継者不足に悩んでおり、随時入会者を募集されています。烏丸鞍馬口を東へ入り、最初の十字路を南に曲がったところにある丸十食堂で練習をされているそう。住んでいる場所も問わないそうですので、興味のある方は問い合わせてみて下さい。この先も長く、京都の伝統が受け継がれていってほしいと願ってやみません。





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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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