北白川天神宮の古式御弓神事

北白川天神宮 古式御弓神事
1月11日に北白川天神宮古式御弓神事(こしきおゆみしんじ)が行われました。

北白川天神宮 古式御弓神事白川通今出川(銀閣寺道)を北へ進み、志賀越道を東へと入ってしばらく歩くと「北白川天神宮」があります。天神といっても祀られている神様は菅原道真公ではなく、神皇産霊神(かみむすびのかみ)または高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子で天つ神である「少彦名命(すくなびこなのみこと)」。神社名も「てんじんぐう」ではなく「てんしんぐう」と読みます。主に医薬の神として知られますが、知識、酒造など様々なご利益と結びつく存在です。

北白川天神宮 古式御弓神事神社には以下のような由緒も伝わります。文明14(1482)年、足利義政が東山殿(のちの銀閣寺)を造営する際に、現在の神社の場所よりも西にあった久保田の森の辺りを通りかかると、馬が足を止めて進まなくなってしまいました。そこで家臣に辺りを調べさせると、森には神を祀る祠があることがわかり、神の力を感じた義政は、都の鬼門の方角にあたる現在地に遷して祀ったと伝わっています。

北白川天神宮 古式御弓神事さて、古式御弓神事(こしきおゆみしんじ)は、神社が平安京遷都以前に創祀されて以来行われていたと伝える神事です。本殿前での神事に続いて、独特の所作で3本の矢を射ます。弓取の作法は代々受け継がれた独自のもので、大変難しく珍しいのだそう。1矢をその年の恵方に、2矢をその反対へ、3矢を悪神に見立てた的に打ち込み、悪疫退散と一年の無事を祈願します。

北白川天神宮 古式御弓神事この神事で使われている弓類は鎌倉時代から伝わるものだそうで、そのお話を聞くだけでも歴史の深さを感じます。本殿前での神事が終わると、的場の周りに氏子代表らが着席して弓の神事が始まりました。まず、神職さんが進み出て空中に文字を書きます。宮司さんのお話を遠くから聞いて得た情報では、恐らく「狂津日神祓却(まがつひのかみばっきゃく)」と書いているのだと思います(違っていたらすいません)。災いをもたらす狂津日神(まがつひのかみ)を祓い清めるという意味です。四方へ向かい「えい えい やー!」とそれぞれの方角を清めて行きます。迫力のある声で、見ごたえがありました。

北白川天神宮 古式御弓神事続いて宮司さんが前へ出て、ゆっくりと所作を行います。宮司さんは御歳94歳ということですが、その年齢を感じさせない力強い動きでした。そして今年の恵方である西南西と、その反対である東北東へと矢を放ち、最後に的に向かって矢を射かけました。的の裏にも「狂津日神祓却(まがつひのかみばっきゃく)」と書かれていて、的を射ることで邪気が祓われます。

北白川天神宮 古式御弓神事にて直会(なおらい)に続いて、宮司さんが椅子に着席されて謡曲を歌われました。「高砂」は聴き取れたのですが、他にも歌われていたと思います。たいへん声がよく、ほれぼれするほどでした。こうして厄除けの古式御弓神事は終了です。神事が終わると氏子さんらにお弁当が配られました。そしてなんと、たまたま見に来ていた私にまでくださいました!宮司さんはとても気さくに話しかけてくださる方でした。本当にありがとうございます。鯖寿司のお弁当で美味しくいただきました。これからもお元気で神事をお勤め頂ければと願っています。

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