直下型地震 過去の災害に学ぶ


神戸

1月17日は兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)が発生した日です。今回は2013年に書いたブログの内容を再掲し、過去に起きた直下型地震から学べることを書いてみたいと思います。

岐阜 金華山と長良川日本の観測史上最も強い直下型地震が明治24(1891)年に起きた「濃尾地震」。マグニチュードは8.0です。この地震は、内陸型地震でありながら日本の広範囲で激しい揺れが観測され、当時は現代のような震度階級ではなかったものの、京都辺りでも震度6から5に相当する揺れを感じています。激しい揺れにより、岐阜では東海道線の鉄橋が落下。当時流行っていたレンガ造りの建物はことごとく倒壊し、以後に建てられた、京都国立博物館をはじめとするレンガ造りの建物は設計変更がなされました。

岐阜 濃尾平野濃尾地震で最も被害が大きかったのは、濃尾平野の岐阜や大垣です。濃尾平野は地盤が緩く、家屋はその多くが倒壊し、大変な被害が生じました。地震の死者の多くは圧死です。濃尾地震はその規模の大きさから現代であっても被害を少なくするのは難しいと思いますが、特につぶれやすい「1階には寝ない」というのも教訓かもしれません。また、家具を固定する、寝室にはそもそも危険な家具を置かないといったことも大切です。

神戸過去の直下型の大地震の記録を見ていると、気が付くことがあります。それは予兆の「前震」が起きている地震もあることです。濃尾地震でも3日前に前震があり、1905年の芸予地震(M7.2)、1914年の秋田仙北地震(M7.1)、1930年の北伊豆地震(M7.3)、1945年の三河地震(M6.8)、1995年の兵庫県南部地震(M7.3)などなど、省略しますが近年の地震でも枚挙に暇がありません。もちろん、前震が無いまま本震が来ることもあり、小さな地震のほとんどは大地震に繋がることはないため、実際には「前震は事後にしかわからない」のが実情ですが、特に「普段は揺れない場所で小地震を感じた時は、万が一の心づもりをしておいてもよい」のではないでしょうか。

1662年 寛文近江若狭地震 下御霊神社直下型地震では「余震が多い」ことも特徴の一つです。京都で、平家が滅亡した1185年に発生した大地震の余震は、収まるまで3か月かかりました。1662年の近江・若狭地震では、京都でも余震が1か月半にわたって毎日続いた記録があり、近年では2004年の新潟県中越地震(M6.8)での余震の多さが際立っています。仮に京都で直下型地震が起これば、過去の教訓からして同様に「余震が数ヶ月に渡って続く恐れがあり」、観光も当分の間、壊滅状態となってしまうでしょう。

1662年 寛文近江若狭地震 八坂神社濃尾地震の項にも書きましたが、「直下型地震の死者の多くは圧死」です。兵庫県南部地震では死者の80%以上は圧死でした。やはり構造上、家屋の1階は潰れやすいため注意が必要です。また、塀や灯篭、石鳥居なども非常に危険です。1978年の宮城県沖地震(M7.4)では、死者の約半数がブロック塀や石塀の下敷きになった子どもとお年寄りです(以後、建築基準法が強化)。現代のビルでも、ガラスなどビルからの落下物がありえるため、慌てて外に飛び出すのも危険です。冷静に、その場で身の安全を確保して下さい。京都では石灯篭などの不安定な構造物が多くあり、1662年の地震では、下御霊神社で石灯篭に抱きついて揺れをしのごうとした子ども二人が、倒壊した灯籠によって亡くなっています。この時は、八坂神社南門の石鳥居も倒壊。揺れが来たら「塀や灯篭、鳥居といった不安定な構造物からは、真っ先に離れて下さい」。

北但馬地震の記念塔(京丹後市久美浜)ただ、身の安全を確保する余裕すら与えてくれない激烈な地震が来ることもあります。1948年の福井地震(M7.1)では、大半の家屋が5秒から15秒で倒壊しました。地震が直下型だったことのみならず、福井は濃尾平野と同じ沖積平野で地盤が軟弱だったことが挙げられます。当時建てられたばかりのビルも多くが倒壊してしまい、手の打ちようがないようにも思われますが、実は建物の基礎を硬い岩盤まで打ち込んでいた建物は被害が軽微でした。費用の問題はあるでしょうが、軟弱な地盤ではなく、「深く強固な地盤まで基礎をしっかり打ち込む」ことも重要なようです。

燃え上がる炎もう一つ、地震の時に恐ろしいのが火災です。火災の発生頻度は、地震が食事時に重なるかどうかで大きく異なりますが、重なってしまった結果、甚大な火災による焼死者が出たのが、1923年の関東大震災(M7.9)です。東京では市内132か所で一斉に出火、全市の64%、40万戸が焼失しました。一度に多くの火災が発生したため消防力が不足し、さらに多くの建物が耐火構造になっていなかったこと、日本海を台風が通過中で風が強かったことも被害が拡大した理由です。現墨田区の旧陸軍被服廠(ひふくしょう)跡地では、避難していた人々が火災旋風に巻かれ、この場所だけで、なんと3万8千人もの人々が亡くなりました。

神戸地震は、普段は使える消火栓をも揺れで使えなくしてしまいます。兵庫県南部地震では、市内2万4千か所に消火栓があったにもかかわらず、地震で水道管が壊れ、そのほとんどが機能しなくなりました。また、貯水池も耐震性になっていないものが多く、水が漏れてしまいました。さらには、地震火災は火の回りが一般的な火災よりも早いという特徴があります。外向きは防火建築であっても、倒れた内部の木の部分が燃えるためで、放置された自動車のガソリンも火に勢いを加え、窓の割れたビルはカマドの役割を果たし、街全体が燃え上がるのです。

神戸火災発生の有無は、地震の死傷者数を劇的に変えますので、とにかく火は小さいうちに皆で手を尽くして消すことが大切です。火災は風の条件によっても被害が大きく異なりますが、最悪を想定すれば、「古い木造家屋が多く、道が細い京都も、地震後に火の海になることは十分に考えられます」。いかに避難するかは非常に難しいですが、火災は起こることを前提に、そして最寄りの避難所が安全とは限らないことを念頭に、風向きをよく見て安全圏に避難するしかないでしょう。

北丹後地震山岳部が直下型地震に見舞われると、山崩れ・がけ崩れが多発して道路が寸断され、集落が孤立することがあります。これは1961年の北美濃地震(M7.0)、1978年の伊豆大島近海地震(M7.0)、1984年の長野県西部地震(M6.8)、2004年の新潟県中越地震(M6.8)、2008年の岩手・宮城内陸地震(M7.2)などで見られ、時には大規模な山崩れで集落が丸ごと埋まってしまうこともありました。特に冬は積雪によって救助が困難を極めることもあります。1927年の北丹後地震(M7.3)、2011年に東日本大震災直後に起きた長野県北部地震(栄村地震、M6.7)もありました。山岳部では、救助の遅れを見込んで食糧などの備蓄を多めにしておくなども必要だといえるでしょう。

熊本城 崩れた石垣地震の際には情報が不足し、デマが広がるのも特徴です。人伝えの根拠が不明確な情報ではなく、ラジオなどから正しい情報を得るように心掛けて下さい。かつて実際にあったのは、「マグニチュード6程度の余震の可能性がある」という情報が、人を介して伝わるうちに、「震度6の余震が来る」と変わり、人々が慌てて避難する・・・といったことです。余震や避難生活で精神がまいっている時ですが、本震より大きい余震は基本的にはありませんので、落ち着いて行動して下さい。インターネットやSNSが全盛の現代はデマが拡散しやすく、情報の見極めが難しいですが、冷静に判断をしてください。

奇跡の一本松過去の歴史を紐とけば、京都も決して地震とは無縁の都市ではありません。避難所は確認していますか?水や食料は用意されていますか?懐中電灯はすぐに取り出せる場所にありますか?家具は固定されていますか?靴もいります!眼鏡もいります!持病のある方は薬もいります!意外と避難生活では現金もいります!すぐに持ち出せるようになっているでしょうか。一式そろった避難袋があればより安心です。まずは身体が無事であること、全てはそれからですが、建物の下敷きになった際には「笛」などの簡単に音を出せる道具が自分の位置を知らせますので、そうしたものを身近に置いておくのもよいでしょう。いざという時、一人でも多くの方が助かることを願ってやみません。

「京ごよみ手帳2019」訂正のお知らせ

・P39の三十三間堂「楊枝のお加持と大的大会」の日程が1月14日となっていますが、正しくは「1月13日」です。
・P225の「京都御所」のデータで、2番の休みは「月曜(祝日の場合は翌日)・年末年始・臨時休あり」です。
ご迷惑をおかけいたします。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

第14回京都検定1級(合格率2.2%)に最高得点で合格。気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。8年ぶりに受験した第13回京都検定で再度1級に合格し「京都検定マイスター」となる。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳」監修。特技はお箏の演奏。


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