瀧尾神社の神幸祭 多彩な出し物がある神幸列

瀧尾神社 神幸祭
9月24日に、瀧尾神社(滝尾神社)の神幸祭があり、多彩な奉納行事がある神幸列が泉涌寺に進みました。

瀧尾神社 神幸祭瀧尾神社は、東福寺駅の北、伏見街道(本町通)に面した神社です。詳しい創立年代は不明ですが、「源平盛衰記」に神社の旧名が見え、平安時代や遅くとも鎌倉時代には成立したと考えられています。現在地には、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い遷座し、江戸時代には京都と伏見を結ぶ街道沿いの神社として信仰されました。

瀧尾神社 神幸祭1717年にのちの大丸百貨店となる呉服店を伏見に創業した下村彦右衛門正啓は、京都への行商の途中にあった瀧尾神社を篤く信仰して、商売の成功をおさめ、以後神社は下村家代々の支援を受けました。江戸時代後期の天保年間には現在の社殿が下村家の援助で造営され、九山新太郎による見事な彫刻が施されています。特に、拝殿の龍は祇園祭の大船鉾との繋がりで話題にもなりました。本殿は貴船神社の奥宮の旧殿を移築改造しています。また、2000年には皇室が代々子授け祈願をした三嶋神社の拝所が移されています。

瀧尾神社 神幸祭さて、瀧尾神社の神幸祭が今年は9月24日に行われました。現在の宮司さんの交流範囲が広く、各方面からの奉納行事があるのが特徴。その出し物は年によって変わることがあります。現在は、京都ではなかなか見られない中国の伝統芸能の「龍舞」や、江戸の火消しが手にしたことで知られる「纏持ち(まといもち)」が出て、神幸列に華を添えています。神輿は男性が担ぐ神輿だけでなく、女神輿があるのも珍しいです。

瀧尾神社 神幸祭現在の龍舞は、神戸市立兵庫商業高校の「龍獅団」の皆様による奉納で、中国の伝統芸能「龍舞」と「獅子舞」が披露されました。獅子舞のほうも日本風ではなく中国風で、本当に生きているかのような見事な動きでした。龍舞も同様で、龍を操る人たちの激しくも軽やかな動きには拍手喝采です。軽快な中国風のリズムは、一般的な京都の祭りとは一味違った雰囲気がありました。神戸市立兵庫商業高校の「龍獅団」は、日本でもトップクラスの腕前を持っておられると聞きましたが、評判にたがわぬ素晴らしさでした。

瀧尾神社 神幸祭神幸列は泉涌寺の境内に入り、仏殿の前に鎮座した神輿への僧侶による読経が行われました。さらに、太鼓や纏(まとい)、獅子舞や龍舞の奉納も行われ、神輿の担ぎ手や僧侶も見守りました。泉涌寺は皇室ゆかりの由緒あるお寺ですが、近年こうした行事も行われています。瀧尾神社の交流の深さも感じる神幸祭。主だった様子は動画でも公開しています。機会がありましたら、ぜひ現地でご覧になってみてください。

瀧尾神社 神幸祭
瀧尾神社 神幸祭
瀧尾神社 神幸祭


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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。8年ぶりに受験した第13回京都検定で再度1級に合格し「京都検定マイスター」となる。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2018」監修。特技はお箏の演奏。

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