安楽寺のカボチャ供養

安楽寺 カボチャ供養
7月25日に、安楽寺カボチャ供養が行われました。

鹿ヶ谷かぼちゃ安楽寺のカボチャ供養は、京都に本格的な真夏の到来を告げる行事で、毎年7月25日に行われています。江戸時代から明治初期にかけて一帯の鹿ヶ谷(ししがたに)では、鹿ヶ谷かぼちゃが育てられていました。鹿ヶ谷かぼちゃは、くびれのある独特な形をしたカボチャです。もともとは青森県の津軽地方が原産で、江戸時代の寛政年間に京都の粟田に住んでいた玉屋藤四郎(たまやとうしろう)が津軽に旅行した際に、カボチャの種をお土産に持ち帰りました。これを鹿ヶ谷で栽培したところ、数世代後に突然変異して、ひょうたんの形になったといわれています。

安楽寺この頃、安楽寺の住職、真空益随(しんくうえきずい)上人が本堂でご修行中、ご本尊の阿弥陀如来から「夏の土用の頃に、当地の鹿ヶ谷カボチャを振る舞えば中風(卒中や風邪)にならない」というお告げを受けられ、以後7月25日に供養日を定めて、今日にいたっています。ただ、明治時代に琵琶湖疏水が開通し、哲学の道沿いを流れている疏水分線が鹿ヶ谷を流れるようになると、鹿ヶ谷かぼちゃの畑は水田へと変化を遂げ、現在は鹿ヶ谷では鹿ヶ谷かぼちゃはつくられていません。

安楽寺鹿ヶ谷かぼちゃは、その面白い形から人気がある京野菜ですが、栄養の面でも一般のカボチャよりも優れているとされます。成人病予防に効果があるというリノレン酸や、ビタミンC、リンやカリウムといったミネラル分も多いのだそう。また、肉質はち密で、煮ても崩れにくく、甘みも強いのが特徴。江戸時代には、単にかぼちゃといえば鹿ヶ谷かぼちゃを差すほど、京都では人気の野菜となりました。

安楽寺 カボチャ供養鹿ヶ谷かぼちゃが地元から姿を消しても、カボチャ供養の風習は残り、今もこの時ばかりは、京野菜の「かね正」で育てられている鹿ヶ谷かぼちゃが門前でも売られ、境内では鹿ヶ谷かぼちゃの煮付けが振る舞われます。やはり甘くておいしく、毎年楽しみにされている方もおられます。境内には朝から多くの方が訪れて、カボチャを頂いていました。

安楽寺の紅葉安楽寺は、鎌倉時代の初めの、住蓮と安楽という美男美声のお坊さんの話でも知られます。住蓮と安楽は、当時の京都で教線を広げつつあった浄土宗の開祖・法然上人の高弟で、念仏の普及に努めていました。彼らは、美男美声ということもあって、とりわけ女性の信者を多く集めていました。その中には当時の朝廷の権力者、後鳥羽上皇の女官である、松虫・鈴虫も混じっていました。松虫・鈴虫は法然上人や住蓮と安楽から感銘を受け、ついには建永元(1206)年12月、後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね出家をすることになります。

安楽上人の辞世この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を加え、法然上人は流罪、住蓮と安楽は僧侶としては極めて異例の死罪となります。住蓮と安楽の亡き後、鹿ヶ谷草庵は荒廃しますが、流罪地から帰京された法然上人が両人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命ぜられ「住蓮山安楽寺」と名付けて復興しています。現在地には室町時代の天文年間に移されていますが、境内には、住蓮と安楽、そして松虫と鈴虫の供養塔が建てられ、往時の出来事を偲ばせてくれます。安楽寺は、春と秋、そして7月25日に公開されていますので、機会がありましたら訪れてみて下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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