八坂庚申堂のコンニャク焚き


1月6日・7日に八坂庚申堂で新春祈祷会が行われ、いつもは60日に一度の庚申の日に振る舞われるコンニャク焚きも行われました。

八坂庚申堂は、清水寺への道すがら、八坂の塔のたもとにあって、境内にぶら下がるカラフルな「くくり猿」が目を引き、境内に入って見る方も多いお寺です。正式には金剛寺という天台宗のお寺で、平安時代に創建されました。日本三庚申の一つ、庚申信仰発祥の地として、今でも厚い信仰を集めています。

庚申とは干支(えと)の庚申(かのえさる)の日を意味し、この夜には人々の体内にいる三尸(さんし)の虫が、寝ている間に体から脱け出して、天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行き、悪いことをした人は罰として寿命を縮められると信じられていました。ところが三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、庚申日には、徹夜をする風習がありました(庚申待ち)。八坂庚申堂の本尊・青面金剛(しょうめんこんごう)は、三尸の虫を食べてしまうとされ、60日に一度の庚申日にはこの青面金剛を拝む信仰が出来ました。ちなみに八坂庚申堂の青面金剛は、聖徳太子に仕えた秦河勝により秦氏の守り本尊として祀られたものとされ、聖徳太子が創建したという八坂の塔との繋がりもありそうです。

コンニャク焚きは、八坂庚申堂の開祖である浄蔵貴所が、庶民の病気平癒を願って始めたとされ、コンニャクは「お心持ち」で頂けますが、数は3つと決まっています。北を向いて更新様を思いながら無言で頂くと、無病息災で過ごせると言われます。このコンニャク、よく見てみると少し変わった形をしています。実はこれ、八坂庚申堂や門前の家々に数多く吊るされている「くくり猿」の形をしているのです。くくり猿は、その名の通り、赤い猿がくくられた姿を表していますが、一見して何かわかる人は少なく、多くの観光客が疑問を抱きながら眺めているのを見かけます。白い部分が頭で、赤い部分から伸びているのが手足です。

猿は青面金剛の使いであり、また八坂庚申堂の「申」からも、猿に繋がります。猿は自由気ままに動き回るため、私たちの欲望にも例えられ、くくり猿のように欲望をくくり付けて自制をすることによって、新たな願いが叶えられるといわれています。また、「猿」という漢字には「えん」という読み方があります。すなわち、「猿」が結ばれている→「えん」が結ばれている→「縁結び」と連想されていきます。家々の軒先に吊るされている猿の数も、必ず五つ。これも「ごえん(五猿)」があるようにとのこと。よいご縁を結ぶだけでなく、猿は玄関先や軒先で、中の人の代わりに苦しみを受けてくれていて、家の中には災いごとが入らぬように、悪いことが「去る(猿)」ように頑張ってくれているのです。

他にも、八坂庚申堂の門の屋根の上には「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿がいます。猿の勝手気ままさは子どもに例えられ、子どもには余計なものを「見せない 言わせない 聞かせない」という教えを表現しているという説があります。家康の墓所・日光東照宮にある、左甚五郎作と伝わる彫刻が有名ですが、平安時代から立つ八坂庚申堂の方が歴史が古く、ここから関東へ伝わって行ったといわれます。数々の猿に守られてきた八坂庚申堂。コンニャク焚きは60日に一度の庚申日にも行われ、次回は2月23日です。機会がありましたら、食してみて下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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