新緑が見事な舞鶴の金剛院

金剛院
京都府北部の舞鶴市にある金剛院では、境内が見事な新緑に包まれていました。

金剛院舞鶴市を代表する寺院のひとつが金剛院。特に秋の紅葉が知られますが、この時期は美しい新緑に積まれています。寺の創建は平安初期とされ、平城天皇の皇子で嵯峨天皇の皇太子でもあった高岳(たかおか)親王によると伝わります。高岳親王は、810年に薬子の変(平城太上天皇の変)に伴って皇太子を廃され、出家をして真如と名乗り、弘法大師・空海の弟子となりました。

金剛院真言密教を習得すると、さらに教えを深めるために入唐求法を志し、862年、ついに入唐を果たします。しかし、当時の唐では廃仏制作の影響で優れた師を得られなかった親王は、天竺(インド)を目指すことを決意。865年に従者3名と広州の港を出港しましたが、以後の消息が途絶えました。16年後、在唐の留学生から日本へ知らせがあり、それによると親王はマレー半島にあった羅越国で薨去したと伝えられています。一説には、虎の害にあったとの説もありますが、それは釈迦の捨身飼虎になぞらえたものだともされています。いずれにしても、世が世なら天皇となっていた高岳親王。波乱万丈な人生でした。

金剛院さて、金剛院はその高岳親王(真如)によって、829年に創建されたと伝わります。当初は高野山から移した弁財天を祀りました。平安時代末期に白河法皇によって再興され、比叡山の無動寺から相応和尚作という波切不動明王を移して本尊としています。また、鳥羽天皇の皇后である美福門院は、平忠盛に命じて三重塔などの諸堂を修復し、阿弥陀如来像を祀り、この時の像も現在は宝物殿で拝することができます。その後、戦国時代には丹後を治めた細川藤孝(幽斎)によっても援助を受け、幽斎が手掛けたという庭園が伝わっています。このように皇族や大名ゆかりの寺として、現在も諸堂や貴重な仏像が伝わり、舞鶴屈指の紅葉名所としても知られています。

金剛院境内奥には室町時代とされる三重塔が建ち、特にその周辺がカエデがたくさん植わってます。私が訪れたのは雨の日で、緑が艶めき、トンネルのような新緑の参道が三重塔まで続いていました。足元の苔もたいへん生き生きとして、感動するほどの美しさ。山に抱かれた寺はとても静かで、悠久の歴史を今に伝えています。入山は300円で、別途500円の宝物殿では快慶仏の深沙大将と執金剛神像を目の前で拝することができ、木目や造形の細部まで確認できます。美福門院の寄進による阿弥陀如来座像や多聞天・増長天像も宝物殿に祀られており、貴重な空間となっています。仏像ファンのみならず、ぜひ一度ご拝観いただきたい場所です。なお、三重塔は隣の公園からもよく見えます。

金剛院また、金剛院は「関西花の寺」としても知られ、今はオオデマリの花が三重塔の奥にたくさん咲いていました。花が丸ごと散るようで、木のたもとは、雪が積もったかのように白く染まっていました。雨の日もおすすめですので、機会がありましたら足を運んでみてください。

金剛院
金剛院

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。8年ぶりに受験した第13回京都検定で再度1級に合格し「京都検定マイスター」となる。第14回京都検定1級(合格率2.2%)に最高得点で合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2018」監修。特技はお箏の演奏。

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