京都府南丹市園部に園部城跡があり、日本城郭史上最後の建造物として一部の建物が残されています。
園部は南丹市の中心的な街で、園部駅前には京都建築大学校(KASD)があります。交通では、京都縦貫道の園部ICがあるほか、京都駅からの特急も園部駅には停車し、30分ほどで行くこともできるという街です。園部城跡は駅からは離れていますので、自動車がある方向きの場所かもしれません。
園部藩の藩祖・小出吉親は、元和5(1619)年に兵庫県の出石城から移封されて、園部藩が新設されました。しかし、すでに大坂の疫も終わった太平の世とあって、城の新築は許可されず、標高170m余りの小麦山(子向山)に天守閣や櫓を持たない「園部陣屋」という形で居館が造られました。その後、明治を迎えるまで小出氏は国替えを受けることなく、約3万石の領国を維持しました。
江戸初期の陣屋建造から時を経た幕末、京都では禁門の変などの武力衝突が頻発していました。そこで近隣の園部も警備を厳重にする必要があると何度も幕府に訴え、1867年、ついに築城の内諾を得ることに成功しました。しかし直後に幕府は大政奉還。改めて正式な許可を明治新政府からとり、「園部城」が誕生することになりました。明治天皇の行在所となる計画もあったため許可されたともいわれます。
城の完成は明治2(1869)年。なんと明治時代になって城が新築完成したのです。明治2年は小出吉親が園部藩を設立してからちょうど250年。まさに園部藩250年の悲願ともいえるのが園部城でした。一方で、園部城の設備には寺社建築の様式が取り入れられているそうで、そうした城でありながら城らしくない部分も明治初期に造られた城たる特徴かもしれません。
しかし新しい時代は城を必要とせず、明治5(1872)年に園部城はわずか3年で廃城となってしまいました。建物はほとんどが取り壊されましたが、現在は、櫓門と二重櫓(巽櫓)が残り、櫓門は園部高校の門として使われており、往時をしのぶことができます。一方、園部城跡(園部高校)の隣の園部公園には、立派な城郭風建築があります。実は園部城跡の櫓や門よりも、圧倒的にこちらのほうが目立つため、こちらを城の遺構だと思う方もおられるかもしれません。
この城郭風の建物は、南丹市国際交流会館です。往時は三層の櫓があったという園部城をイメージした外観で、その前には50mはあろうかというプールもあります。このプールは内堀跡ともいわれ、まさに現代の「堀」といえるかもしれません。内部はイベントホールや展望談話室、全国有数のCATVスタジオなど近代的設備も完備しているそう。「城」部分はホールとのことで、内部はイベント時にしか入れないとお聞きしましたが、外観は壮観ですので、ぜひこちらにも訪れてみてください。園部城跡と園部公園は隣接し、園部公園の広い駐車場に車をとめることができます。
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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)
気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。8年ぶりに受験した第13回京都検定で再度1級に合格し「京都検定マイスター」となる。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2017」監修。特技はお箏の演奏。