会津若松 新島八重ゆかりの史跡


先日、今年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重のふるさと会津若松に行ってきました。今回からしばらく、番外編として会津若松の史跡について書いていきます。

八重の桜が始まりました。震災で打撃を受けた東北地方の観光も、今回の大河ドラマで少しは戻ってくれたらと思います。私もちょうど予定の空きと天気がよくなるタイミングが合ったので、日帰りですが会津若松まで行ってきました。今年は京都で八重にまつわるスポットの散策も行う予定ですので、よい経験ができたと思います。個人的には東北が好きで、関東に住んでいたときも何度か訪れ、2009年に大河ドラマ「天地人」が放送されたときには、5連休を取って、東北をぐるりと回ってきました。雄大な自然に、温泉、興味深い歴史や文化、おいしい食べ物もたくさんありますので、この機会に多くの方が足を伸ばしていただければと思います。

ただ、冬の会津若松は一面の雪景色。積もった雪は氷となって、足元を滑らせ、移動を妨げます。冬季は、京都のように自転車での移動は非常に難しく、レンタサイクルも貸してくれるところがほとんどありませんので、基本的に市内を走るバスと徒歩での移動となります(今回は、天気がよかったため、なんとか自転車を借りることができました。)。道は多くが凍りついていて、場所によってはゆっくり歩いていても滑ります。できれば4月以降に、時候がよくなってから訪れるほうがよいでしょう。今回は、鶴ヶ城一帯の史跡と、白虎隊の墓がある飯盛山、そして復元された藩校・日新館まで足を伸ばしてみました。

会津若松は歴史都市。史跡の整備や、立て看板の充実ぶりは、正直京都以上だと感じました。少し歩けばぶつかる面白い歴史の数々に、ついつい予定外の時間をとってしまいました。今回は、まず新島八重ゆかりの史跡をご紹介します。最初は八重の生誕地。八重やその兄・山本覚馬の家は、鶴ヶ城の西にありました。今年の大河ドラマに関連して、大通りから看板での誘導もされています。

生活道路を入ると、山本覚馬・新島八重生誕の地の石碑が民家の前に立っていました。ただ、古地図によると、実際の生家はこの石碑の場所より30mほどさらに西の場所とのこと。そちらにも忘れずに足を伸ばしてみてください。現在、覚馬や八重の本当の生誕地は駐車場で、そこにも大河ドラマに関連して看板が掲げられていました。八重が鉄砲の撃ち方を教わったのはまさにこの場所だったのかもしれません。ドラマの光景が目に浮かびました。

八重の家の近くには、会津の藩校・日新館がありました。現在は天文台の跡が残されていて、登ることもできます。ただ、雪で足元が滑りますので、危険が伴うことをお忘れなく。八重はこの日新館の教授として寄宿していた川崎庄之助と最初の結婚をしています。日新館も戊辰戦争の折に消失しますが、その後、戦いで傷ついた兵を収容する病院としても使われました。なお、復元された日新館は市街地から離れた場所にあります。

さて、美しい鶴ヶ城にも忘れずに立ち寄りましょう。戊辰戦争の折に、八重も篭城して戦いました。新政府軍が会津の街に進行した1868年8月23日、八重は、三の丸から二の丸を経て、廊下橋を渡って入城しました。すでに敵の攻撃が激しくなっていたころです。八重は北出丸を目指し、戦ったといわれています。そしてその夜、ゲベール中を手にすると、女ではただ一人、刀を差し男装をして夜襲隊にも加わりました。

翌日の晩も、一人で夜襲に出ようと大手門まで来たところ、12歳の子供たち10人ほどが八重に同行を頼んできました。ここまで幼い子までもが殿のために命を捨てる覚悟なのかと、暗に涙を流したといわれています。八重は藩主の松平容保公にこのことを相談します。容保はそのけなげな志をほめますが、女・子供だけで出撃するのは、かえって城中に兵がいないことを知らせることになるとして、夜襲を中止させました。

会津軍は鶴ヶ城に篭城し耐え抜きますが、時には激しい砲撃で泥が飛び散り、八重が運んでいたおにぎりも土人形のように泥だらけになってしまったと伝わっています。八重はスペンサー銃を手にして戦います。スペンサー銃は当時の最新式で、手元で玉がこめられる元込め式(ゲベール銃は筒の先から玉を入れる先込め式)。使える者が限られていましたが、八重はそれを使いこなしていたのでしょう。

しかし約1ヶ月の篭城の末、ついに会津軍は降伏。9月22日に降伏の調印をする場面を、八重も見ていました。無念さ悔しさ、きっとさまざまな感情が渦巻いていたのでしょう。その夜、八重は三の丸の雑物蔵の白壁に、髪を掻き揚げる笄(こうがい)で、歌を刻みました。「明日の夜は いずこの誰か眺むらん なれし御城に 残す月影」。翌23日に、鶴ヶ城は開城されました。鶴ヶ城での戦いを経て、八重の舞台は京都へと移っていきます。

現在、鶴ヶ城の西に、八重の桜の大河ドラマ館がオープンしています。中では役者さんの撮影風景や、撮影秘話の映像も流れ、八重が山本家で撃っていた銃を実際に似たセットで撃ってみる体験もできますよ。ちなみに的に見事に当たると、八重がほめてくれます(笑)銃は、なかなかの重さでしたが、それでも実際より軽いのだそう。また、砲撃を受けて塀が崩れた鶴ヶ城のセットでは、CGで砲撃の場面にも入ってみることもできました。

さて、京都で新島襄と結婚した八重は、襄と一緒に会津にも里帰りをしています。明治15年(1882年)、初めて二人で会津を訪れたときに泊まったのが、清水屋旅館。現在はその跡地に石碑と看板が立っています。ここに約1ヶ月宿泊しました。また八重は晩年の昭和6年(1931年)、大龍寺に、点在していた山本家の墓を集めて墓所を整備しました。大龍寺の山本家の墓所には八重直筆といわれる石碑が立ち、その裏には八重の名も読み取ることができます。八重はこの翌年に亡くなっています。なお、大龍寺は深い雪に包まれていますので、足元には十分ご注意ください。

つらつらと書いてきましたが、会津の街は歴史都市。石碑や看板が充実していますので、以上の内容も基本的に現地の看板などを参考にして書いたものです。現地に立てば、より気持ちの共感が高まり、ドラマも楽しめますね。次回は、復元された藩校・日新館を紹介する予定です。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。


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